2015年3月22日日曜日

book311 『<中東>の考え方』 (2010) 酒井啓子

国際政治と現代史の枠組みのなかで



【概要】                    

本書の目的は、こうだ。まず、「中東」という地域が抱えている問題はいったい何なのか、明らかにすること。そして、その原因を近現代の国際政治のなかに位置づけることである。さらには、国際政治に振り回されるだけではない、中東の指導者たちの巧みな処世術を解明していく。

その一方で、中東の人々はどのような社会を作ろうと模索しているのか、世界という大きな船の上で揺れながら、中東の市井の人々が感じ、目指しているものを、考察する。

そのために、ここに用意した「魔法の絨毯」は、みなさんを、200年という時間と、北アフリカからイランまで、東西に広がった空間を駆けめぐる旅にいざなう。

【読むきっかけ&目的&感想】               

ネットで色々と物色していて見つけた本。アマゾンでのレビュー評価も良いし、ISILによる日本人人質殺害事件に寄せて書いたコラムも興味深かったので、この本を読んでみようと思った。そして、目次をチェックした中で特に、終章にある中東における「メディアとアイデンティティー」に興味を持った。

さくら好み ★★★★


とても理解しやすい構成になっていたので、私でも読みやすかった。

【備忘録】                                       

・湾岸産油国を歩いていて、その国の国民に出会うのは、至難の業

あなたがペルシア湾岸の産油国のどこかの空港――ドバイでもアブダビでもよい、クウェートでもカタールのドーハでも――に降り立ったとしよう。

空港でタクシーを拾えば、フィリピン人の運転手が「どちらまで?」と尋ねる。ホテルに到着すると、インド人のベルボーイがあなたのトランクを抱え上げ、フロントのエジプト人が「ようこそ」とにこやかに迎えてくれる。スーダン人かソマリア人がロビーの大理石の床を掃除し、レストランではバングラデシュ人のボーイが注文を取り、タイ人のメイドが浴室のアメニティは足りているか、聞いてくる。窓から見下ろす建設現場ではパキスタン人の労働者がクレーンを動かし、ネパール人のデリバリーボーイがピザをバイクに乗せて走る姿が見える。商談でオフィスを訪ねると、応対するのはレバノン人か、パレスチナ人か、はたまたイラク人か。

湾岸産油国を歩いていて、その国の国民に出会うのは、至難の業である。

・なぜ社会格差が政治的不安定につながらないのか?

それは、こうした産油国政府が、国民から税金を取るのではなく、石油収入を国民にばら撒いて国民の支持を確保する「レンティア国家」の典型例だからである。産油国のように不労所得で成り立つ経済を「レンティア経済」といい、一般的に、レンティア国家では民主化が遅れがちだと論じられることが多い。

「代表なくして課税なし」という有名な民主主義原則の言葉通り、税金を課されず裕福な生活が保障されていれば、国民はさほど熱心には政治参加を求めないだろう、という発想が、湾岸産油国の経済運営の底流にある。国民のステータスを得られなくとも、とりあえず十分すぎる収入を得られれば、外国人労働者の不満も昂じないはずだ――。

産油国では、格差はあっても、底を十分あげることで、それが社会問題化しないようにしているのである。

・ユダヤ人とは、ユダヤ教徒のことであった

ユダヤ人とは、ユダヤ教徒のことであった。だから宗教的にはユダヤ教徒でも、民族的にはさまざまに異なる。「ベニスの商人」に登場する「鷲鼻」ユダヤ人は、ヨーロッパでのユダヤ人像のステレオタイプだが、エチオピアのファラシャと呼ばれるユダヤ人は褐色の肌を持つ。中国では開封に長らくユダヤ人共同体が存在していたが、彼らの容姿は他の中国人とほとんど変わらない。信仰と、何民族か、どこの国に属するかは、別のことのはずだった(ただし、母親がユダヤ人なら子供はユダヤ人、とされており、そのことで「血縁的要素」も無関係ではないのだが)。

ところが、近代ヨーロッパでの環境が、ユダヤ人たちを単なる「教徒」に留めさせなかった。ヨーロッパが国民国家の時代を迎えるのと並行して、ロシアやフランスなどでは、ユダヤ教徒に対する差別、迫害が広がった。ユダヤ人たちは、その宗教上のアイデンティティーゆえに、ヨーロッパの「国民」として平等に認められない、という辛酸を舐めることになった。

・「ユダヤ教徒」を「ユダヤ人」にするのだ

今住む国の「国民」になれないのだとしたら、自分たちが自分たちの「国」と「国民」を作り上げるしかないのではないか。その差別される原因である自分たちの宗教上のアイデンティティー、つまりユダヤ教徒であることを、国民の要件としよう。すなわち「ユダヤ教徒」を「ユダヤ人」にするのだ――。これがヘルツルのシオニズム思想だった。

ドイツやフランスに住むユダヤ教徒は、ユダヤ教徒のドイツ人、ユダヤ教徒のフランス人を目指すのではなく、ドイツやフランスとは別の「ユダヤ民族」の国民を作り上げることを目指したのである。シオニズムは、勝れて世俗的――つまり、神の作りたもう宗教ではなく、人間の作るものとしてのナショナリズムの発想だった。

・「約束の地」

ヨーロッパ各地に離散していた、言語も生活環境も異なるユダヤ教徒たちをユダヤ人としてひとつの国にまとめあげるには、どうすればよいのか。そのためには、強烈な統合のシンボルが必要だった。どんなユダヤ人も共有し、ユダヤ人性を掻き立てられるものといえば、旧約聖書の記述である。神に選ばれ、神に土地を約束された、聖地エルサレムにかつて王国を誇っていたという、旧約聖書の「記録」は、信仰深い者もそうでない者も、誰でも知っている共通の記憶だ。

聖書の記述だけが、ユダヤ人に国民としてひとつの目的を与えることができる。だからこそ、ユダヤ人の国を作るのは「約束の地」、つまりイスラエルの地(エレツ・イスラエル)でなければならなかったのである。

・国民とはなにか

イスラエル・パレスチナ問題は、本質的には、「国民とはなにか」という深遠な問題に他ならない。ヨーロッパから始まった「ナショナリズム」という思想は、ある人々を「国民」と規定して凝集を強めていくものであると同時に、国民ではない人々を切り捨てることでもある。ある国民の規定から排除された途端に、入れなかった人々は、自分たちのための新たな「国民」概念を求めていく。そしてまた、別の人々を「国民」の枠からはじきだすことになるのだ。

その際、民族や宗教、文化や慣習など、本来多様な性質、多様なアイデンティティーを持った人々が「国民」になるためには、そのうちのひとつの要件だけを選び取らなければならない。

かつては、複数のアイデンティティーをうまく使いこなすことで、他者との接点を探し当てることができた。異なる民族同士でも宗教が同じだということを理由に共存し、部族が異なっていても話す言葉が同じだということで、和解しあうことが可能だった。

だが、近代国民国家の思想においては、「国民」アイデンティティーがすべてに優先する。それ以外のアイデンティティーは、背後に追いやられる。そのことは、かつて共存していた人々を、異なる民として切り捨てることでもあったのだ。

・イスラエル建国、移住と衝突

話しを第一次世界大戦の後に、戻そう。

バルフォア宣言で「民族的郷土」の建国を認められたヨーロッパのユダヤ人たちは、続々とパレスチナに移住した。移住者たちは、そこにいたパレスチナ人たちから組織的に土地を買い上げていった。その過程で、暴力的な衝突も増えた。

イスラエル建国にあたって、イスラエルが意図的、計画的にパレスチナ住民を建国予定地から追い出そうとした、とパレスチナ側は主張している。その代表的な例としてあげられるのが、デイル・ヤーシーン村の虐殺だ。この村で女性、子供を含む100人以上のパレスチナ人が殺害され、恐怖にかられた人々が故郷を後にするきっかけとなった。

イスラエルが建国されたことで、70万人にのぼるパレスチナ人が、住む家を追われて難民となった。彼らの住んでいた村や町は、破壊されて廃墟と化すか、名前をすっかりユダヤ風に変えられた。

何が理不尽かといって、当のパレスチナに住んでいたアラブ人たちにしてみれば、「ユダヤ人の国を作る」などといった約束は、ヨーロッパが彼らの事情で行ったに過ぎなかったことだ。そんな無責任な約束事のツケが自分たちの生活に降りかかってこようとは、まったく青天の霹靂だった。1949年のイスラエル建国は、ヨーロッパから新天地を夢見たユダヤ人たちには歓喜の出来事だったが、パレスチナに住み、そこを追い出された人々にとっては、「ナクバ」、つまり大厄災に他ならなかった。

・「ユダヤ人」 と 「パレスチナ人」

イスラエル側は、パレスチナ人を追い出したことの不当性を真っ向から否定する。

「パレスチナ人」とは、パレスチナに住む、民族的にはアラビア語を話すアラブ民族の人々である。アラブ民族はシリアやヨルダンや、他の国にたくさんいるのだから、パレスチナに住まなくとも他のアラブ民族の住む地でアラブ民族として生活すればいいではないか。「パレスチナ人」という固有のアイデンティティーを持つ人々など、存在しない――。こうした発想が、イスラエルの政治家の間では長く根づいてきた。

一方で、アラブ諸国は、ユダヤ人を規定しているのはそもそも宗教であって「民族」ではないのだから、ユダヤ教徒だけを集めて国民にするという発想はおかしい、と考える。

オスマン帝国時代まで、ユダヤ教徒はイスラーム教徒と共存してきたのだから、アラブ地域にいるユダヤ教徒は、そのままアラブ民族のユダヤ教徒として生きればいいではないか。ドイツにいたユダヤ教徒は、ドイツでユダヤ教徒のドイツ人として生きればいいではないか。イスラエルの建国は、西欧のアラブ地域に対する植民地支配の一環に他ならない――。

・パレスチナのラッパー

パレスチナ系アメリカ人の若き映画監督、ジャッキー・サッロームが2008年に撮ったドキュメンタリー映画に、「スリングショット・ヒップホップ」(slingshot hiphop 『自由と壁とヒップホップ』)という作品がある。その名の通り、ヒップホップ・グループのDAMを追った作品だ。イスラエルのパレスチナ人がヒップホップ・グループとして活動していること、しかもイスラエル占領下のガザのラッパーも登場するところが驚きだ。
DAM
フランスの高級紙「ル・モンド」が「新世代のスポークスマン」と呼んで紹介したDAMは、パレスチナ最初のヒップホップ・グループであり、アラビア語ラップの先駆者でもある。1990年代の後半からグループを結成し、歌い始める。2000年に占領地で勃発した第2次インティファーダ(イスラエルの支配に抵抗する民衆蜂起)に触発されて制作した「Who's the terrorist?」を2001年にネット公開したところ、たちまち100万以上のダウンロードを記録し、DAMの名前は中東の若者のあいだに浸透した。ローリング・ストーン誌がフランスで無償配布するなど、この曲は様々な出版物でも取り上げられている。
DAM公式サイト:http://www.damrap.com
いつ空爆されるかしれず、国境は閉鎖されて移動も物資輸送もままならない、閉塞された占領下パレスチナ。若者の「自爆テロ」は欧米メディアの目をひくが、イスラエルに軽やかにラップを歌い踊るパレスチナ人たちがいるなんて、想像もつかないだろう。

しかも、ヒット曲のタイトルは「誰がテロリストって?」。サビはこう歌われる――
誰がテロリストって?
俺ってか
住む土地盗られてどうやってテロリストになんのさ
あんただろ、テロリストって
俺たちから全部奪って殺して
それで俺たちに『法に従え』ってか? 

世界共通のラッパー・ファッションで痛烈なイスラエル批判を繰り返す彼らは、まさに現代の新しい抵抗文化の担い手だ。映画のタイトルを直訳すると「パチンコ(投石器)・ヒップホップ」。1980年代末に占領地で素手の石投げ抵抗運動として始まった、インティファーダを想起させる。

・湾岸戦争、なぜ、外国発信の放送なんだ?

中東の人々の情報環境は、世界の他の国々と同様、衛星放送とインターネットの普及によって、劇的に変化した。従来、アラブ諸国のメディアといえば、多くの国では国営放送がほとんどで、政府管理の報道しか見られなかった。

そんな「面白くないテレビ」を一変させたのが、1996年に設立されたのがアラビア語衛星放送「アルジャジーラ」だろう。

ジャジーラ放送は、「中東のCNN」の異名をとり、「朝まで生テレビ」ばりの激しい討論番組と戦争の実況中継、スキャンダラスともいえる独占レポートで、アラブ諸国の情報統制を軽々と乗り越えた。

ジャジーラ放送が生まれたきっかけは、湾岸戦争にあるといわれている。同じアラブ諸国同士が戦い、聖地を抱えるサウディアラビアに米軍が駐留することになった湾岸戦争は、中東どこの国でも最大の関心事だった。どの国でも知識人層は、CNNなど欧米の衛星放送が提供するニュースに釘づけになった。

だが、その後彼らは考えた。なぜ、外国発信の放送なんだ? なぜ、アラブ世界に自前の、しかもアラビア語による衛星放送番組がないのか? それを実現したのが、BBCに勤めていたアラブ人ジャーナリストたちだった。彼らには、BBCの湾岸戦争報道を支えた自信があった。そして、カタールの首長からの支援を得て、ジャジーラ放送は誕生したのである。

・ネット空間

衛星放送以上に爆発的な広がりを見せているのが、インターネットだ。中東の主要都市では、いたるところにインターネット・カフェが設置され、一日中入り浸っている若者の姿を見ることも珍しくない。

ネット空間に繰り広げられる自由奔放な発信は、中東のイスラーム世界が文化的に遅れている、と考えがちな欧米社会にとっては、意外だったようだ。徹底的に海外との接触、報道や発信の自由を統制してきたフセイン政権下のイラクで、国内から発信するイラク人ブロガーが登場したとき、欧米のブロガーたちは「イラク人がこんなことを書けるはずがない」と、目を疑った。「サラーム・パックス」と名乗る29歳のイラク人青年が、流暢な英語で、ゲイで酒飲みの自分の日常生活を語り、「美ヨークやマッシヴ・アタックが大好きと綴っていたからである。

そのことは、中東の若者たちがネット空間を通じて見ている今と、国際社会が中東社会に対して持っているイメージが、いかにかけ離れているか、ということでもある。次々にブログを開設するイラクの若者が綴る戦争と占領、内戦の現状――。国際的なメディアでは伝えられない、リアルな現在が、そこでは共有されているのだ。

・ヴァーチャルなイスラームの連帯

ちょうどブッシュ政権の「対テロ戦争」時代、十把ひとからげに敵視されたイスラーム教徒たちは、世界中にいた。イラクに続いて自国が攻撃対象になるのではないか、と戦々恐々とする中東の人々。イスラーム教徒だというだけで、9・11事件以降警察に疑惑の目を向けられたり不当逮捕されたりした、アメリカのイスラーム教徒たち。社会的、文化的に差別をうける、ヨーロッパのイスラーム系移民たち。

それぞれの文脈で抱える諸問題がネット上で共有され、見知らぬ遠い世界のイスラーム教徒同士がヴァーチャルな共同体の中で連帯意識を醸成していく。

・ネットでのイメージと民衆感情にはギャップも

ネットと衛星放送でつながる中東、イスラーム社会の新しい世論は、しばしばその土地の人々のリアルな声と矛盾を生じる。

アラブ世界で英雄視されたナスラッラーも、実際に内戦の苦汁を味わったレバノン市民全員に歓迎されているわけではない。イラクの新政権の政策を激しく糾弾するジャジーラ放送に、戦後復興を遅々たる歩みながら進めようとするイラク人は、不快感を抱く。実際に戦禍の中で生活する人々と、ヴァ―チャルなネット空間のなかで形成される世論の間に、乖離が生じているのは事実だ。

・なぜスカーフをかぶるのか

ミニスカートをはいて女性の解放を主張しても、欧米社会に追随するだけとみなされる。それならば、スカーフをかぶり、アバーヤ(体全体を覆うガウン)を着て、アラブ社会の男女差別を糾弾しよう、と、湾岸諸国の女性たちは考える。

このような女性たちがスカーフをかぶるのは、男女差別に無自覚なまま、やみくもに伝統を守っているからではない。逆に、自分たちの権利主張と社会参加を求めて、スカーフをかぶる女性も少なくない。

・「グローカル化」

かつて、無条件に社会の根底にあるものとみなされてきたイスラームは、近代化、グローバル化のなかで、新たな意味と役割を持ち、中東の人々のアイデンティティーのひとつとして、復興した。

いま、イスラーム的な生き方を選ぶ人々の間では、イスラーム的な生き方とは何か、という問いに対して、さまざまな答えや解釈が模索されている。

だが、そうした人々の試行錯誤は、なかなか既存の政治体制に反映されない。政治エリートたちは自分たちの利権分配に明け暮れ、国際政治に振り回されるばかりで、人々の声が代弁されない日々が続く。

人々の声は、日常の地道な社会活動を続けるイスラーム運動に向かうのだろうか。あるいは、ネットを介してヴァーチャルな共同体の再編に向かうのだろうか。

いや、そのどちらも並存しているのが、現代の中東社会なのだろう。国家の枠組みを軽々と超えて、日常社会と世界規模のネットワークが縦横無尽につながっていく。

現代社会は、地域の特性を重視する「ローカル化」と世界を普遍化する「グローバル化」が、同時並行で共存する「グローカル化」が、その特徴であると言われている。中東地域がいま経験しているのは、まさにその「グローカル化」にほかならない。

・目次

第1章 石油の海に浮かぶ国々
大英帝国の遺産「湾岸首長国」/サウディアラビアの登場/石油の国々

第2章 パレスチナ問題とは何か
中東の人々のアイデンティティーを考える/パレスチナ問題をふりかえる/アメリカはパレスチナ問題にどのように関わってきたか

第3章 冷戦という時代があった
アメリカとソ連の時代/北辺防衛のための国々―トルコ、イラン/アフガニスタン侵攻/メリカの一極集中時代へ

第4章 イランとイスラーム主義―イスラームを掲げる人々
イランで実現した「イスラーム共和制」/「革命」政権の変質/「民主化が進むとイスラーム主義が強まる」のはなぜか?

第5章 メディアとアイデンティティー
アラビア語衛星放送「アルジャジーラ」の影響力/ネット空間/イスラーム銀行とスカーフ

・著者 酒井 啓子

酒井 啓子(さかい けいこ、1959年2月 - )は、日本の国際政治学者、千葉大学法政経学部教授。専門は、中東政治、イラク政治。日本における中東研究の第一人者。