2015年12月29日火曜日

book334 『「和食」って何?』 阿古真理 (2015)

第1章  「和食」の誕生
  1. すしはファストフードだった―江戸時代まで
  2. 「今日もコロッケ」―明治維新がもたらしたもの
  3. 憧れのハンバーガー―敗戦後の大変革
第2章 昭和育ちの食卓―私が食べてきたもの
  1. ベースはすでに洋食
  2. 農村暮らしから引き継いだもの
  3. 外食大好き
  4. メディアが描く食のかたち
第3章 和食の今と未来
  1. 和食の何が危機なのか
  2. 学校給食は進化する
  3. 家庭科の役割)
【概要】                    

海外からきた食文化を取り入れることで、日本の食は大きく進化してきた。そのなかで変わらずにいるコアな部分とは何か。私たちの食と暮らしをもう一度見直そう。

「和食」といえば、刺身に煮もの、和えもの、ご飯に味噌汁。人気のラーメンやカレーは和食じゃないの?食をたどれば、社会の変化が見えてくる。

【読むきっかけ&目的&感想】              

図書館で、お正月に作る「おせち」のことを考えながら本棚を眺めていたので目に留まり、パラパラめくったら面白そうだったので読んでみた。

さくら好み ★★★★

自分の味覚のルーツを社会的変遷でたどることができ、味覚は価値観なのだと改めて認識させられた。日本人の食生活が大きく変わったのは、時代が変わり、新しい食材が増えレシピが簡単に手に入るようになったためだけでなく、世代が変わって、親とは違う味覚を持つ子供の世代に代替わりしてきたからでもある。「個々人の味覚」が易々とは変わらなくても、年月を経れば「日本人の味覚」は変化していくんだね。

仮に100年後の日本人は、どんな味覚になっているだろうか。今に生きる日本人が美味しいと思うものを、100年後の日本人は美味しいと思ってくれるのかな?彼らは何を食べているんだろう・・・?

【備忘録】                                          

和食とは、、、

2013(平成25)年12月、「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。登録を受けて農林水産省が出したパンフレット「和食」を要約すると、次のような特徴が挙げられます。
  • 地域性豊かな自然の恵みから、旬の食材を使う
  • 切る、煮る、焼く、蒸す、茹でる、和える、揚げる。多様な調理法がある
  • カロリーが低く栄養バランスがよい
  • もてなしの心
和食とは文化の形であって、刺身やご飯といった具体的な料理を指すのではないのかもしれません。

油脂を使った濃い味への一歩

昔の日本人は動物性の食品が苦手でした。明治の初め、ビスケットなどの洋菓子は「バタ臭い」と敬遠されました。1925(大正14)年に売り出されたマヨネーズも、浸透に時間がかかっています。内臓を使うことも一般的ではなく、のちに料理研究家となった大正生まれの入江麻紀は、ロシア人貴族と結婚した当初、内臓料理を食べるのに勇気が必要だったと自身の著書で書いています。

時代が変わると好みは変わるのです。そもそも和食という言葉自体、生れたのは明治期です。肉を煮込み油脂や乳製品を使う西洋料理と出会って、自分たちの食事を「和食」だと認識したのです。和服という名前も、着物が洋服と違うからつけた。日本という国を意識したのも、西洋の国とつき合うようになったからです。

そして、蒸気で動く黒船などの機械文明を持ち、筋骨隆々とした西洋人の国々に追いつこうとして、肉食を解禁し、国家の正式なもてなしの料理様式をフランス料理としたのです。ここから油脂を使った濃い味への一歩が始まりました。

食文化の変化

ところで、食文化が変わったのは、日本だけではありません。

フランス料理で、コース料理を一皿ずつサービスする形式が取り入れられたのは19世紀です。この形式はロシアから伝わりました。

イタリアでパスタが庶民の日常食になったのは、19世紀末から20世紀にかけてでした。そのパスタですが、もとは中国で生まれた麺がシルクロードを経由して伝わったと言われています。日本の麺類も中国から伝わり、現在の国民食とも言えるラーメンは、明治期に横浜の中華街で売られていたものが原型になっています。

料理は異文化と接触した結果、発展してきた

ラーメンは油脂をたくさん使い、カロリーが高い一品料理です。しかし、海外に進出したチェーン店もあり、外国人からは日本食と思われています。

ラーメンは、農林水産省が出している「和食」とは少しずれています。カレーも、伝統食ではないけれど国民的に人気です。この二つは和食ではないのでしょうか。

実はカレーは世界中で愛されている料理です。イギリスでは昔インドを植民地にしていたことが広まったきっかけですが、他のヨーロッパ諸国でも人気が高く、インド系の人々が渡ったオーストラリア、ジャマイカなどにもカレーがあります。ただし、使うスパイスや食材、料理の仕方によって違います。ドイツでは、カレー味のソーセージが人気。野菜を大きく切って煮込み、とろみをつける日本のカレーも独特の進化を遂げた料理です。

世界を見渡してみると、どこの国でも料理は異文化と接触した結果、発展してきたことがわかります。和食も同じ。

「献立」

室町時代に誕生したのが本膳料理です。味をつけた焼きもの、和えもの、和えもの、汁ものなど盛りだくさんの膳を多いときには21回も出す盛大なもので、能の上演もありました。大名が将軍をもてなすときは、1年、2年かけて計画します。料理を出す回数は献(こん)と呼び、21回は21献と呼びました。献立という言葉は、献の内容を考えることから始まったのです。

「一汁三菜」

利休は茶会から酒宴を切り捨て、享楽性を排します。高い精神性を追求する中で生み出したのが、品数を最小限に抑えた一汁三菜の懐石料理だったのです。懐石という言葉は、「温石を懐に抱いて空腹をしのぐ」という修行上言葉から出てきたもので、空腹をしのぐ程度のささやかな食事を召し上がっていただく、という意味が込められています。

温かいものを温かいまま出すもてなし方

(懐石料理で)画期的だったのは、温かいものを温かいまま出すもてなし方です。現在の結婚披露宴などでもそうですが、大勢の人に一度に料理を出すには、あらかじめ料理を仕込んでおかなければなりません。ガスも電気もなかった昔は準備がもっと大変でした。ですから、宴会料理は冷めているのが当たり前だったのです。

利休が完成させた懐石料理は、小さな茶室に少人数が集い、その場限りの出会いを楽しんでもらうことでした。最高のもてなし方です。最高のもてなしをするために、主人は食事が進行するタイミングを見計らい、料理を運ばせる。温かいままおいしく食べてもらおうというもてなし方が、ここで生まれたのです。

茶会で重視されたのは、一期一会という考え方です。たとえ同じ人間が集っても、時期が違えば違う話が生まれる。その一期一会を最高に演出する。それは親密に話ができる狭い空間だから成り立つ考え方といえるでしょう。この考え方は料理にも応用されました。茶会を行う季節を感じさせる食材と器を選ぶ。花や掛け軸を飾る。旬を味わうという価値観が出てきたのです。