2017年3月25日土曜日

book362 『剣豪夜話』 津本陽  (2016)

[本書の目次]
第一話 近藤勇と比肩した男
第二話 永倉新八の竜尾の剣
第三話 明治政府の剣豪
第四話 江戸幕府最後の侍と明治維新
第五話 薩摩隼人と示現流
第六話 龍馬暗殺現場の試斬
第七話 見事の死にざま
第八話 柳生新陰流の極意
第九話 大東流・佐川先生の俤
第十話 夜半の素振り

【概要】                                        

歴史に名を刻んだ名剣士と、現代に生きる各流派の伝説的な武人。その壮絶な技量と圧倒的な人生を通して、日本人の武を考え抜いた作品です。著者の津本陽氏は、日本を代表する歴史、時代作家であるだけでなく、自ら剣道三段、抜刀道五段の腕前であり、武芸への造詣も大変深い作家です。本書には、津本氏本人の剣術修行の様子も詳細に描かれ、氏の「体験的武道入門」ともいえる内容です。

われわれの先人がいかに武を磨き、乱世を生き抜いてきたのか。津本氏は、戦中、戦後直後の殺伐とした空気のなかで、日本人の攻撃性は維持されたと書きますが、いま、テロに代表されるような「暴力の時代」が、再び訪れようとする嫌な予兆があります。武の心得とは何か、と問うときに、本書の持つ意味は大きいと思います。 (amazon)

【読むきっかけ&目的&感想】           

フレに薦められて読んでみた。

さくら好み ★★★★★


【備忘録】                    

【返し技の稽古】

機動隊では師範に稽古をつけてもらうときの掛かり稽古、先輩と後輩が入り乱れて打ち合う地稽古の他に、返し技の稽古をする。

面を打ちにくると相手の竹刀をはじいて胴を返し、小手を打ちにくると小手を返し、胴へ打ちこまれると面を返すというふうに、稽古のたびに3、40分もやっていると、返し技が自然の動きのように身についてきて、機動隊の2段は一般人の5段に匹敵する能力があるといわれていた。

【上達の短い周期と黒い慢心】

剣道は素質のあまりすぐれない者でも、突然めざましく上達することがある。同輩、先輩、師範と稽古をしていて、相手がよく打ちこませてくれるものだと感じることがあるが、そういうときは上達しているのである。

いままで打ちこませてくれなかった先生、先輩たちが急に優しくなったように、自分の打ちこみをうけいれてくれていると思っているうちに、これはおれが自分の力で打ち込みをきめているのだと気づくようになる。

そのとたんに慢心の黒い影が身内にひろがる。

近頃いくらでも面が入る。いままでとても打てなかった相手にも、おもしろいほど打ちこめる。これからは面を狙うのをやめて、小手を打ってみよう―― などとえらそうなことを考えて小手ばかり打ちこんでみると、以前は得意であったのになかなか決まらないため飽いてしまい、やっぱり面かと思う。だがこんどは面もなかなか決らず、上達の短い周期が過ぎてしまった現実に気づいたときはすでに遅く、スランプの谷間に落ちこんでしまっているのである。

いったん落ちこんだスランプから這い出すのはなかなか困難である。三段あたりまでやってきた山坂を登るのをやめてしまう人が多いのは、おのれの慢心に行く手をはばまれたためである。

【「観の眼つよく、見の眼弱く」】

竹刀をとって試合がはじまったとき、両目でどこを見てるかといえば、相手の眼を見ている。それも眼だけに視力を集中しているのではなく、相手の体全体の動きを視界に抱え込んでいるような見方である。

宮本武蔵の言う「観の眼つよく、見の眼弱く」の要領である。こんな要領は剣道稽古をはじめて一年もたつものであれば常識である。

目標は眼で見たとき、すでに動いているので、打つときには位置が変わっている。敵の隙は、まともに見る「見の眼」で見るのではなく、敵の両眼、剣尖、鍔元などに視線をむけつつ、その体全体からうける印象のうちに感じとる。

隙は白地の布のさらに白い点のように、浮きだして眼につくが、そのとき、一瞬に所を変えている。その動きを感知して打つので、カンで打つことになり眼で見て打つのではない。

それは初心者の常識であるが、ただそれだけのことを知っているか否かで、刀の遣いかたがまったく違ってくる。

【命のやりとりをする道具の値段】

刀の値段でいえば、新撰組は斬りあいをかさね消耗率の高い隊士たちのために、刀を買いいれる予算を組んでいた。

それによれば刀身が八両で、拵えが八両、一振り十六両であった。一両の時価を5万円と見て一振り80万円である。彼らにとって消耗品であっても、命のやりとりをする道具として、それぐらいの値段は惜しまなかったのである。

【柳生新陰流の極意】

「私は先生の前で剣道をやったなどとはいえない下っ端ですが、剣道というのは何が一番値打ちがあるかというと、向いあう相手にスキがあるときに、それを逃さず打てという、そういう攻撃精神を教えてくれることじゃないかと、私は思うんです」

先生は私の言葉にすぐ反応して下さった。
「いまいわれたことが極意なんです」

私は一瞬聞き間違いかと思ったが、先生は確言された。
「相手とむかいあい、いま敵にスキがあると思い、パッと技が出ないから先制攻撃の『先』の攻撃精神を純粋に持続していること。私の父は『攻撃精神の純粋持続』が剣の極意だといっていましたね。

【水月の位】

修行をつみかさねる年月は、素質によって随分違う。自分は遅かったと先生はいわれるが、先生の実力はどれほどの高さにあるか想像つかない。

試合に勝つのは間積もりが正確にできており、負けるのは間積もりができていないためである。新陰流には水月の位という間積もりの教えがある。

月下に水が流れ入ると月影がたちまち映るように、自分のとる刀のとどく範囲に敵が入ってくればかならうそえを打つのを水月の位というのである。